東陽一 映画監督 ひがしよういち [懐かしの映画シネマ ボックスセット]
東陽一 監督映画 DVD
東陽一 DVD-BOX
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東陽一 映画,DVD-BOX 1 橋のない川 絵の中のぼくの村 ボクの、おじさん
橋のない川 愛を知り、人は光を放ち始める。日本近代の基底を貫いた魂を描く珠玉の[映像叙事詩]――完全映画化 明治・大正の農村を舞台に、真の人間の豊かさとは何かを問う。 人間の尊厳を掲げて敢然と差別に抗して立ち上がっていく人々の姿を描いた、住井すゑの大ベストセラー小説「橋のない川」。 映画はこの原作をもとに、真の人間の豊かさとは何かを問いながら、全国水平社結成に至るまでの人々の闘いを描く。 毎日映画コンクール日本映画優秀賞、監督賞、撮影賞、美術賞ほか1992年度の映画各賞を多数受賞。日本映画の最高水準を示す名作が誕生した。
絵の中のぼくの村 誰にもある心の風景を舞台に描く不滅のファンタジー映画。 二人はふたご。絵の好きなふたご。ぼくらはいつも二人で川に釣りにいっていた――。 夏の終わり、京都に住むふたごの兄征彦のアトリエを、弟征三がたずねてくる。二人ではじめて合作する絵本の打ち合わせのためだ。絵本には、ランニングシャツにずり落ちそうなズボン、そして麦わら帽子をかぶった遠い夏の日の夢のような少年時代が描かれている。映画はいつしか二人の描いた故郷の絵から、昭和23年、高知の田舎の村へ…。 本作は、第46回ベルリン国際映画祭にて銀熊賞を受賞。感受性豊かな少年期を独創的な視点で描き“静かなユーモアと深い叡智”を湛えた作品として高く評価される。
ボクの、おじさん ピンク・フロイドの名曲「IF(もしも…)」にのせて、日本の90年代「〈父〉なき時代」を描く。 大人の入り口に立つ14歳の少年と、都会の息苦しい生活に苛立つ29歳のおじさんの精神…。ある事件を通して二人の間にやがて静かな共鳴が生まれていく。 東京のデザイン会社で働く浩二のもとへ、ある日、故郷にいる兄修一からふたつの知らせが届く。ひとつは父の死。もうひとつは、兄の一人息子で中学生の拓也が、郵便局へ強盗に入り警察につかまったことだった。 2000年というミレニアムな時代のモチーフを縦横に展開しながら、通過儀礼なき今を生きる14歳の少年と、息苦しい生活に苛立つ29歳の叔父の交流を軸に現代の孤独に迫る。
東陽一 映画,DVD-BOX 2 沖縄列島 やさしいにっぽん人 日本妖怪サトリ
沖縄列島 私は今日も爆音の中で眠るのだ――1968年沖縄。基地に囲まれた返還前の日常を鋭く深くとらえた問題作。 映画は再生ガラス工場でガラスびんの打ちくだかれるシーンからはじまる。打ちくだかれるコーラの空きびんだ。飛び散るガラスの破片、溶解炉の炎。 「日本の政府とね、日本の国民はね、私たちをアメリカに売りはらった…それは娘を売りはらった親父と同じ…恥ずかしくないのか」 返還前の日常に横たわる沖縄の数多くの風景、貌、そして人々の声。このさまざまな現実の断片が寄せ集められてみると、沖縄列島全体が世界に不協和音を発していることに気づく。戦後23年の沖縄の現実が浮き彫りにされる。
やさしいにっぽん人 ひとりの青年をとりまく日常と夢。シャカの「ことば」をもとめて遍歴する魂の記録。 沖縄での集団自決を生きのびた赤ン坊であり、今は何もそのことを記憶していないという暗示的な運命を持つ「シャカ」と呼ばれる青年と、その恋人や友人たちの、真の「ことば」を求めて遍歴する姿を描く。東陽一の最初の劇映画。 脚本は、東陽一と前田勝弘の二人が書きおろし、無名のプロダクションの仕事でもあったが、河原崎長一郎、緑魔子をはじめ多くの俳優たちが極めて熱心に、この映画に参加した。 俳優たちに共通する態度は、たとえば、伊丹十三によるならば、「このスタッフの無謀さに賭ける」ということでもあったろう。
日本妖怪サトリ 現代に蘇る妖怪サトリ、人間の魂にしのびよる――現代人への鎮魂歌。 『沖縄列島』『やさしいにっぽん人』と話題作を発表し、71年度監督新人賞を受賞した東陽一が、その後二年の歳月をかけて完成した作品である。 物語は、人の思うことを次々に言い当て、思うことがなくなると、とって喰うという“想像力の民話的な反映”とも言うべき妖怪“サトリ”を、現代に蘇生させることによって、状況のもつ根深い荒廃の根を、そして、人間の魂の不可視の暗部を鋭くえぐりだそうとするものである。 主演は、水族館に勤める女のしたたかな実在感を独特な感性で浮き彫りにする緑魔子、また、管理社会からはみだして生きる“ものぐさ太郎”には河原崎次郎、そして太古の昔より甦える妖怪“サトリ”には、特異なマスクと不思議な存在感を有する山谷初男が紛している。
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東陽一 DVD-BOX
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東陽一 映画,DVD-BOX 1 橋のない川 絵の中のぼくの村 ボクの、おじさん
橋のない川 愛を知り、人は光を放ち始める。日本近代の基底を貫いた魂を描く珠玉の[映像叙事詩]――完全映画化 明治・大正の農村を舞台に、真の人間の豊かさとは何かを問う。 人間の尊厳を掲げて敢然と差別に抗して立ち上がっていく人々の姿を描いた、住井すゑの大ベストセラー小説「橋のない川」。 映画はこの原作をもとに、真の人間の豊かさとは何かを問いながら、全国水平社結成に至るまでの人々の闘いを描く。 毎日映画コンクール日本映画優秀賞、監督賞、撮影賞、美術賞ほか1992年度の映画各賞を多数受賞。日本映画の最高水準を示す名作が誕生した。
絵の中のぼくの村 誰にもある心の風景を舞台に描く不滅のファンタジー映画。 二人はふたご。絵の好きなふたご。ぼくらはいつも二人で川に釣りにいっていた――。 夏の終わり、京都に住むふたごの兄征彦のアトリエを、弟征三がたずねてくる。二人ではじめて合作する絵本の打ち合わせのためだ。絵本には、ランニングシャツにずり落ちそうなズボン、そして麦わら帽子をかぶった遠い夏の日の夢のような少年時代が描かれている。映画はいつしか二人の描いた故郷の絵から、昭和23年、高知の田舎の村へ…。 本作は、第46回ベルリン国際映画祭にて銀熊賞を受賞。感受性豊かな少年期を独創的な視点で描き“静かなユーモアと深い叡智”を湛えた作品として高く評価される。
ボクの、おじさん ピンク・フロイドの名曲「IF(もしも…)」にのせて、日本の90年代「〈父〉なき時代」を描く。 大人の入り口に立つ14歳の少年と、都会の息苦しい生活に苛立つ29歳のおじさんの精神…。ある事件を通して二人の間にやがて静かな共鳴が生まれていく。 東京のデザイン会社で働く浩二のもとへ、ある日、故郷にいる兄修一からふたつの知らせが届く。ひとつは父の死。もうひとつは、兄の一人息子で中学生の拓也が、郵便局へ強盗に入り警察につかまったことだった。 2000年というミレニアムな時代のモチーフを縦横に展開しながら、通過儀礼なき今を生きる14歳の少年と、息苦しい生活に苛立つ29歳の叔父の交流を軸に現代の孤独に迫る。
東陽一 映画,DVD-BOX 2 沖縄列島 やさしいにっぽん人 日本妖怪サトリ
沖縄列島 私は今日も爆音の中で眠るのだ――1968年沖縄。基地に囲まれた返還前の日常を鋭く深くとらえた問題作。 映画は再生ガラス工場でガラスびんの打ちくだかれるシーンからはじまる。打ちくだかれるコーラの空きびんだ。飛び散るガラスの破片、溶解炉の炎。 「日本の政府とね、日本の国民はね、私たちをアメリカに売りはらった…それは娘を売りはらった親父と同じ…恥ずかしくないのか」 返還前の日常に横たわる沖縄の数多くの風景、貌、そして人々の声。このさまざまな現実の断片が寄せ集められてみると、沖縄列島全体が世界に不協和音を発していることに気づく。戦後23年の沖縄の現実が浮き彫りにされる。
やさしいにっぽん人 ひとりの青年をとりまく日常と夢。シャカの「ことば」をもとめて遍歴する魂の記録。 沖縄での集団自決を生きのびた赤ン坊であり、今は何もそのことを記憶していないという暗示的な運命を持つ「シャカ」と呼ばれる青年と、その恋人や友人たちの、真の「ことば」を求めて遍歴する姿を描く。東陽一の最初の劇映画。 脚本は、東陽一と前田勝弘の二人が書きおろし、無名のプロダクションの仕事でもあったが、河原崎長一郎、緑魔子をはじめ多くの俳優たちが極めて熱心に、この映画に参加した。 俳優たちに共通する態度は、たとえば、伊丹十三によるならば、「このスタッフの無謀さに賭ける」ということでもあったろう。
日本妖怪サトリ 現代に蘇る妖怪サトリ、人間の魂にしのびよる――現代人への鎮魂歌。 『沖縄列島』『やさしいにっぽん人』と話題作を発表し、71年度監督新人賞を受賞した東陽一が、その後二年の歳月をかけて完成した作品である。 物語は、人の思うことを次々に言い当て、思うことがなくなると、とって喰うという“想像力の民話的な反映”とも言うべき妖怪“サトリ”を、現代に蘇生させることによって、状況のもつ根深い荒廃の根を、そして、人間の魂の不可視の暗部を鋭くえぐりだそうとするものである。 主演は、水族館に勤める女のしたたかな実在感を独特な感性で浮き彫りにする緑魔子、また、管理社会からはみだして生きる“ものぐさ太郎”には河原崎次郎、そして太古の昔より甦える妖怪“サトリ”には、特異なマスクと不思議な存在感を有する山谷初男が紛している。
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